こちらの桜はまだまだ。昨日は26度を超える陽気だったが、今日は肌寒い。来週末の花見がいよいよ楽しみになって来た。
どうでもいいことだが、サクラは分類学上「バラ科」の植物で、自生種が約9種類、自然交配種が約20種類あり、園芸品種までいくと300を越えるという。一番ポピュラーと思われるのは「ソメイヨシノ」だろう。そのくらいはボクでも知っているから、、、。ソメイヨシノは、植栽してから15年ほどでまあまあの花を咲かせるようになり、20〜40歳の時代に見事に咲き続けるが、その後次第に衰えて50歳を過ぎるとそれが顕著になるという。植樹してサクラの名所として成り立っている場所は、それを見越した長期的な管理計画が必要ということだ。と言うことは、きっとここ「香住ヶ丘」の桜はボクなんかと同じ世代で、そろそろ衰えを見せ始める頃だ。自分の人生と重ね合わせて、毎年ここの桜を眺め、見届けていくことになるね。
(P.S)アップしてから気になったけれど、ここのサクラは今年はこれで既に「おしまい」ってことじゃないのか、、、?不安になってきた、、、。
さて、会のトリを飾ったのは「マツケンサンバ」。我が青壮年会会長の熱演に、会場の盛り上がりは最高潮に、、、。
こうして目に見えて日々変化が始まると、今までイメージの上でしか見えていなかった新居が徐々に具現化し、空想世界は次のステージへと進んで行く。ワクワクしたりガッカリしたりの繰り返しになるのか否か、出来れば最後までドキドキワクワクで行きたいものだ。お母さんの住居がカタチになったら、いよいよ新ナティフへ、と道は続く。「Natif」とは「生まれ変わる」という意味のフランス語とか、、、。まさにNatifの道のり。今後を乞うご期待。
救助されたT君は佐平治の蔵の常連でもある。未だ行方不明の方の捜索に、今朝も地区の人たちが広範囲の沿岸に散らばった。春なのに穏やかとは言えない海、海上に出ての捜索は困難のようだ。双眼鏡片手につぶさに眺めるしかない。どこかに何か手がかりを求めるが、鉛色に染まったずっしりと重苦しい日本海は無言だ。人々の想いは、既に、探すという思いを越えて「祈り」に至る。
小学校5年か6年の時、厳冬の中、帰港直前の船が難破したことがあった。校舎から眺める海には、船の破片やマストが荒波の中見え隠れして、身近な海の存在に、初めて脅威を感じたことを思い出す。多くの人が亡くなったり不明になったりしたが、後日、あの見え隠れしていたマストに人がしがみついていて救助されたと聞き、校舎からのみんなの祈りが通じた気がした。
海に祈る。祈りが届きますよう、、、。
まあよい、ヨソはヨソ、、、。基礎はやはりすべての基礎。ウチは、真のベタ基礎でガッチリ満足。安心がまず基本の「き」。基礎の「き」。
2×4やパネル構造の工法で用いられる基礎工法で、阪神大震災以降、在来工法の木造建物にも多く用いられているらしい。
ひとつひとつ勉強勉強、、、。
『突然の訃報に只々驚いております。先生とのお付き合いは昨年の11月、たった一日、それも数時間だけでした。いろいろなところでのボクの発言を気に留めて頂き、「一度逢いたい」とのお申し出を頂戴致しましたこと、光栄に思っております。開店前のボクの店で最初にお会いした時は緊張しました。先生が定期的に新聞の折り込みで発行される「佐津谷ジャーナル」は、香住町の議会の模様を知る、我々にとって唯一無二の情報源であり、とかく情報公開に閉鎖的な旧態依然とした我が町の現状に風穴を開ける気概に満ちておりました。その発行人に初めてお目にかかるワケですから緊張は当然です。しかし、自分の生い立ち、神戸での学生時代、タウン誌の編集長時代、香住に来られてから、地区の因習への反骨、学習塾のこと、そして議員になられてからのこと、火事のこと、ご自分の病気のこと、、、先生はご自分のことをずっと話して下さいました。「まず、ボクのことを知って下さい」そんな実直さに惹かれ、すっかり意気投合。「今度はお店が開いてる時間に来るよ」と別れたのですが、その日のうちにまた来て頂きましたね。拒食症に悩んでおられましたが、ボクの作ったパスタを完食。「今日は食べられたよ」嬉しかったです。先生の話ばかり聞いて、今度はボクのことをお話する番でした。春になるまでに、佐津にある先生お気に入りのバー(?)へ連れて行ってもらう約束も実現せず、残念でなりません。昨年末、何処かでクルマですれ違った時、うちのカミさんが「あっ嶋田さんがお辞儀しとんなるで」と気付いたのに、ボクは気付かぬまま、、、。それが先生との最後と思うと悔やまれて仕方ありません。
香住町議会の最後の議案、、内容は忘れましたが14対1、、その1は先生でした。「ボクはヨソから来た者だから、失うものはないんだ」本心とは裏腹に体制に迎合する地元議員ばかりの中、その反骨の精神、「反対ばかりする」と誹られながらも、正しい情報を伝えようとする一途な姿勢、、、合併、新庁舎建設の過程への疑惑追求を最後までやられた先生の気骨を、ボクだけはけっして忘れません。いろいろな要望をぶつけてくる人の話を全部訊いて、一言「ところであなたはボクに投票してくれた支持者ですか?」と尋ねる。違う、と答えた人には「まず、あなたが投票した議員にお願いしなさい」と教えるという先生のお話が、この町のこれからには、恥ずかしながらイロハのイです。
先生がお好きだったビールと焼酎のウーロン茶割り 献盃 お疲れさまでした。』
このサクラはお隣、豊岡の街道沿いの桜。今をまさに盛りとばかりに咲き誇る。桜の魅力は、満開時の痛々しいばかりの旺盛さ、そして頂点を紙一重越えた散り際のはかなさ、と思っている。その瞬間を見極める時、人々は深く何かを感じ入る。
先日来話題にしている我が地元・香住ヶ丘公園の桜は、不安的中、今年は不発なようだ。
咲かぬ桜こそ何と実に悲しいものか、、、。
この映画は1940年制作。主演はビビアン・リー。彼女にとっては「風と共に去りぬ」翌年の主演作だが、ボクはこのビビアンが何よりズバリピッタリする。もちろん「風と、、、」も素晴らしいのは言うまでもないが。
ストーリーは、至って単純。戦争という時節にもてあそばれる、一組の男女の悲しい運命、、、。原題「ワーテルロー橋」、、、その橋の上から物語は始まり、そして、終わる。
現代はフリーセックスの時代と言われるが、人間の生きざまにハヤリもスタリもない。人間にとって、唯一無二のものが何かをストレートに問うてくる物語。不倫に浮気、ウソ、欺瞞、虚々実々を尽くす恋愛ゲームは、虚飾に満ちた色彩で塗りつぶされる。だからこそ、この映画はモノクロで、観るものを「白」か「黒」かぐいぐい追い迫る。この映画にムダな色彩は要らない。カラーでなくて大正解。
「運命にもてあそばれる」なんて、現代ではなかなかリアリティがないもの事実。ちょっとした取るに足らないことに「運命」感じちゃったりする、陳腐でレベルの低いメロドラマ花盛りの時代。破廉恥極まりないこの世の様に神経がマヒしそうになったら、この映画を観て「ゼロ」に帰ろう。
生コンのミキサー車から出てくるドロドロのコンクリートは、ポンプ車のようなもので一度受けて、もの凄い高さから吊したホースからウニウニと出てくる。コンクリートを流し込む人、きちんと隅々まで行き渡るようバイブレーターで整えて行く人、表面をならす人の真剣勝負という感じ。一気に鉄筋が覆い尽くされ、すっかり巨大で強固な家のベースが「カタチ」になりました。前日に長い時間をかけた鉄筋の細かい結束作業ですが、コンクリートを打ち終わってしまえば、もう目には見えないところ。見えないところの「いい仕事」の積み重ねで、家は建っていくんだね。物づくりの基本はすべてに通じる。
昼間からビール片手に花と海を眺め、皐月賞もゲットして、気分は満開。いやいや今年は正統なお花見が実現してよかった。昨年は雨に祟られ、佐平治店内で花見というより、ただの飲み会だったから、、、。ウチの店に新たな歴史が刻まれた感じ。
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