2005/10/ 3
踏みつぶし
期待の秋祭りは、残念無念「雨」に祟られ御輿を出すことが出来ず、気合いは空振りして、昼間からの酒盛りにエネルギーを注ぐこととなってしまった。明けて日本晴れ、、、。秋の日の天気は気まぐれだ。
旧ナティフがついに、跡形もなく踏みつぶされはじめた。こうなってしまうと、気持ちを込めてお金もかけて必死で創りあげた物は、ただの「ゴミ」扱いだ。「もったいない」とか「限りある資源を大切に」とかというメッセージなど「はぁ〜??」。遙かにそんなレベルを超越した「暴挙」の域と言わざるを得ない。何度も書くが、公共の福祉だとか最大多数の最大幸福だとか、いかにも聞こえはもっともらしいが、根底には「何か」決定的なものが欠如している。民主主義だとか、政治のチカラ、だとか、「みんなで決めたこと」という、とってもアバウトでファジーで危うい「道筋」に、みなさんやけに従順だ。この国を主導してきた、目に見えぬ「チカラ」にどこまで騙されたら気が済むのだろうか、、、。高速道路だって、公共事業という名の「ハコモノ」行政だって、ムダ使いと汚職がてんこ盛りなのは、既に明白になっているのに、、、。
2005/10/ 4
踏み固め
新居で「三番叟(さんばそう)」が踏まれた。地域に伝わる伝統芸能「三番叟」は、天下太平、五穀豊穣などを祈願する祈祷の名残で、大地を踏み固める悪魔払いの呪術の意味合いもあり、「舞う」と言わず「踏む」と呼ばれる。我が町「香住区」の内の6つの地区が、それぞれの「三番叟」を伝えており、毎年地元の小中学生が、主役の3人を演じ、民族文化財保存に努めている。
三番叟の「叟」は「年寄り」という意味。もともと能楽の「翁」という演目をベースにした歌舞伎がルーツで、各地に伝わり、その土地ごとのアレンジが加わり伝承されてきたもので、全国各地にそれぞれの「三番叟」が伝わる。まず「千歳(センザイ、センダイとも言う)」が露払いの舞をし、続いて「翁」が舞う。そして「三番叟」こと「黒木尉(クロキジョウ)」が鈴をつかって派手な舞を見せる、という流れはだいたい何処も同じだが、最後に黒木尉と千歳の語りの絡みがあるのが、この地区の「三番叟」の特徴。前半の2パートが厳粛な雰囲気なのに対して、黒木尉の舞は激しく舞踏的。静と動のコントラストも妙。
特訓を受けた(?)地元の中学生たちの熱演で、無事「踏み」固めて頂き、新入居のお母さんも大満足の様子。よかった。
2005/10/ 5
ほったらかし
最近すっかりほったらかし状態の「みー」。食っては寝て、寝ては食って、ウンコしてまた食って寝て、、、と彼の毎日に特に変化はないが、段々外も寒くなって来て、戸外に出たがっても以前よりもご帰還が早い。久しぶりにキリッと晴れた午後、陽の当たる絶好のポジションをウロウロしながら、コンクリートの上でゴロゴロゴロゴロっと、いつものアクション。左右に3、4回転がって見せる。身体もすっかりデブデブで、顔の小さいのと短足なのは変わりない。しかし、最近よくしゃべるようになった。ほったらかしにし過ぎているから、たまに会ったとき「今日は○▲×だったよ」「今日▼♂☆したよ」とか、話をしたくてウズウズしているのかも知れない。
にゃー、にゃぁーっ、ニャお〜、ニャお〜ん、とか、ボキャブラリーは例によって少ないが、オマエの切実な思いは伝わっているぜぃ。
2005/10/ 6
古材再生
お母さんの新居の玄関は、先日書いたようなデザイン。庇を支える2本の柱に「古材」を使っているとも書いたが、一口に古材と言っても「お洒落!」と捉えられるといささかイメージにズレがある。運ばれて来たときは、ただの泥まみれの廃材で、「マジかよ〜」って感じだった。片面はシロアリに食われて、虫食いの跡が生々しい。取りあえず洗剤を付けたたわしで擦り汚れを落とす。いったん乾いてから、ワイヤーブラシで虫食い跡をガリガリ擦る。しかし、これがなかなか手強い。結局、ディスクグラインダーを借りて、粗めのサンダー掛け。コレが一番効果的。虫食い面の表面をかなり削り取ると、写真のように、おぞましきシロアリの虫食い跡が「模様」に変身。ようやく「味」が少し出てきた気がする。あくまでも「古材」の存在感を残しつつ、廃材とは確実に一線を画す「風合い」の域に達するまではまだ距離がありそうだ。新しい居場所を見つけても、そこで息づくためには、さらなる時間も必要というワケだ。こんなところにも「生まれ変わる」テーマがあるらしい。
2005/10/ 7
名誉専属ピアニスト
佐平治の蔵を開店するとき、ピアノを是非置きたかった。たまたま覗いた「中古ピアノフェア」で、自動演奏機能のついたものを運良く見つけ飛びついた経緯は、以前にも書いたことがある。もちろんせっかくのピアノを、自動演奏だけで終わらせたくはないし、酔ったお客さんが勝手に、得意満面で「ネコ踏んじゃった」を弾いたりする「おもちゃ」ではないことだけは確かだ。以前に「ピアノ弾かせてもらっていいですか?」と訊かれたことがある。まず、この人は何故そんなことを言うのだろうと考える。今ここで、知らない人もいる前で「どうしても弾きたい」とは如何に、、、。そんなに上手なのか、、、。それともプロのピアニストの「売り込み」なのか、、、。計りかねて「いや、専属のピアニストにしかピアノを触らせていないんで」とキッパリ断った。その人はきょとんとしていたが、きょとんとされる謂われもない。これはウソではない。年に一回でも、数年に一回でも、わざわざこのピアノを弾きに東京から来てくれる旧友がいる。ジャズピアニストとして、名を成してきたそのピアニストのために、この席は空けてあるのだ。
8日と9日の両夜、彼がやって来てピアノを弾いてくれる。皆様、是非!!
2005/10/ 8
心のピアニスト
「心のピアニスト・池田公生」、、、彼は自分をこう呼んでいる。彼とのつきあいは長い。初めて会ったのは学生時代、新宿の「モーツァルトサロン」というライブスポット。当時彼が学生仲間で組んでいたジャズコンボ「成績向上委員会」(通称・セーコーイ)のライブでだった。それから数年ブランクがあったが、横浜で「アトリエ」を始めた時、「ジャズまだやってる?よかったらライブやってよ」と声をかけたのが再会のきっかけ。当時、彼は普通のサラリーマンだったが、アトリエでピアノを弾くようになって、ついに一念発起して脱サラ、、、今では立派なピアニストだ。彼のパフォーマンスに触れたい方は、東京の「キャピトル東急ホテル」にどうぞ。ラウンジとメインダイニングで彼が弾いている。このホテルは日本でも最高峰で、古くはビートルズも泊まり、有名アーティストや各国の要人が利用する。彼のハートフルで温かいピアノは、このホテルを度々利用する有名アーティストもお気に入りで、指揮者のジェイムス・レヴァインやズービン・メータ、伝説のピアニスト・ヴァン・クライバーンも彼のファンらしい。中でもレヴァインには特に超お気に入りで、来日中公演後は、他の予定をキャンセルしてまで、ダイニングに直行し、ピアノの近くの席に陣取るという。世界のマエストロの心まで癒す彼は、正真正銘の「心のピアニスト」だ。
蛇足だが、このキャッチフレーズは、学生時代散々お世話になった居酒屋「北の家族」に由来する(笑)。
佐平治の蔵開店後、彼が香住に来るのは何と6回目。すでに友達も多く「香住ツウ」。その「心」が嬉しい。
2005/10/ 9
Natifへの道 43
先週末、ついに旧ナティフが消えた。無くなってしまえば実にあっけなく、既にずらりと、新築の軒が整然とならんだ新しい町並みに、ようやく「つじつま」があった感じだ。当局の人間を含め、この歩道敷設を企てた人たちは、きっと一様にホッとしたことだろう。当局に差し出した土地は、写真の「土」の部分。その奥の白く見える部分が、辛うじて残った土地だ。そこはやがて、お客様用の駐車場として生まれ変わる。歪なカタチではあるが、普通車1台、軽自動車1台がなんとか停められるだろう。
何度も書いてクドいが、歩道が完成したら、皆様ぜひ見物に来て頂きたい。この部分のこの歩道の「ご立派さ」と、その他のエリアの「お粗末な」町並みの、見事なまでのコントラストの妙を、、、。
2005/10/10
真打ち登場
「みー」がついに、新居デビューした。真新しい壁や柱、カーテン、その他諸々のものを引っ掻いたりするのではないか、と遠ざけられていた「みー」だが、心配をヨソに、意外に「借りてきたネコ」をかぶり、おとなしく新居を巡回した。ヤツにとっては、家の中に2階がある空間にはとまどっているかも知れない。新ナティフに来たときにも同じだった。エレベーターは初体験。無理矢理ホームエレベーターに乗せられ「初2階」。吹き抜け部分のスリットから、恐る恐る顔を出す。「何だこの家は、、、いつもの、部屋が一つしかないわかりやすい家とは違うぞ」ってな感じだろうか、、、。こういう複雑な家の中で生活したら、外に出たいとは余り思わなくなるかも知れない。
久々に対面したお母さんにエサをもらったら、結局はいつものコイツモードに戻り、例の調子でゴロゴロしてくつろぎ始め、クークー熟睡モードに、、、。何処に行っても、結局同じだなぁ、オマエ、、、。
2005/10/11
グレン・ミラー@\500
映画「グレン・ミラー物語」は、伝記映画としても音楽映画としてもまた、ラヴストーリーとしても秀逸の名作だ。何度観ても感動するし、最後に主人公が死んでしまうのに、見終わったあと爽快感が溢れる。しがない貧乏トロンボーン奏者のグレン・ミラーが、ヘレンという愛妻の助けを借りながら、あの「グレン・ミラーサウンド」を確立して行くサクセスストーリーだが、途中数々の名曲が流れ、時には本物のミュージシャンが登場して演奏する。そんな場面場面がはっきりと印象に残り、音楽だけを聴くだけで映画の場面がきっちりよみがえる。それが名画が名画たるところだろう。グレン・ミラーを演じるジェームス・スチュアートはもちろん、ヘレン役のジューン・アリスンの太陽のような「明るさ」が、いつまでも観る人の心に留まる。
スーパーの「CD1枚500円均一」ワゴンセールでグレン・ミラーを見つけた。例によって音源に関する詳しいデータの記載はないが、モノラルで、古いラジオから流れてくるような音を聞けば、当時のオリジナルだということは明らかだ。映画の中で、ヘレンのお父さんに、レコードがどれだけ儲かるのか訊かれて、グレンが「1枚3セントです」と答え「なんだそれっぽっちか」とバカにしたお父さんが、ムーンライトセレナーデだけで85万枚売れたと聞き後でビックリするシーンがあるが、1枚500円に成り下がっても、売れ続け、我々を満足させてくれる。
2005/10/12
秋色、福色
ボク周りには10月生まれが多い。自分自身がそうだし、「佐平治の蔵」も横浜時代の「アトリエ」も10月誕生だ。ボクが学生時代からお世話になった東京のお店が、先日30周年を迎えたがココも10月生まれだ。あの夏の暑さがようやくおさまって、朝晩は寒いぐらいになってきた。クーラーからやっと開放され、着る物も、何の工夫もない「Tシャツ単パン」から、お洒落に気を遣う(?)季節となる。年々、着る物には気を遣わなくなってきた。「どうせ誰も見ちゃいねぇ」といった、オヤジ丸出しの羞恥心の無さがそうさせているのだろう。本来は「誰も見ていない」からこそ、お洒落を楽しむべきなのである。
この秋結婚する義理の従兄弟のカップルが、誕生日プレゼントに、と服をくれた。自分じゃ絶対に手を出さない「色」だ。しかし、だからこそ贈り物は嬉しいのである。自分らしい色、とか、自分らしいスタイル、を見つけるのもお洒落の一つだが、自分自身のカタチに固執し埋没すると「冒険」する気持ちが萎える。冒険もお洒落の重要なファクターだ。そんな「オヤジ」の没個性に「喝っ!」をいれるにふさわしい色だろう。幸せカップルに服をもらって「福」までも頂いた気分。ありがとう。歳も一つ増え、この一年はこの色なりに頑張ります。


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