2006/ 1/31
米酒(マイサケ)
カミさんとこの新築工事の設計者である丸山さんにお酒を貰った。「行然庵」(ぎょうねんあん)・大辻さんという方の存在は、前々からお話だけは伺っていたが、その方がお造りになった「古代米酒」。大辻さんがどのような人なのかは、まだお会いしていないので何とも書きようがないが、ご自身のHPを覗かせて頂くと、お米やお酒へのアプローチに「生き方」が浮かび上がるし、お奨めになっているお酒や焼酎に、ボクの好みに重なる部分が多くて、おこがましいが親しみを感じてしまう。頂いた「米酒」は「マイサケ」と読む。ご自身が自然栽培された古代米「錦上錦」(きんじょうにしき)を使い、佐賀松浦焼の古大甕で醸され2年間熟成されたという、大辻さんが思い描いてきた「古代のお酒」だから「My酒」なのだ、きっと、、、。原酒の上澄みだけをくみ取って無濾過で瓶詰めした限定品。写真でおわかりになれると思うが、うっすら濁りを含んだ淡い琥珀色。味は「スゴい」とだけ書いておこう。お試しになりたい方は「マイサケくれ」とおっしゃるべし。品切れ御免でやす。
苗作りから水に至るまで「但馬」にこだわったという純米酒「但馬強力」(たじまごうりき)を何としても頂きたくなった。
「行然庵」HP
2006/ 2/ 1
SUMI
2月に入った途端、あわやノーゲストか?と思わせる静けさ、、、。(涙&笑)
話は全然違うが「炭」のスゴさが世に語られて久しい。ひと口に「備長炭」といっても、すべて紀州備長炭とは限らず、ホームセンターなどにある「高級○○○」と表示してそれらしいのは、たいてい中国産だそうだ。事実、紀州産は「ちょっと高い」なんてレベルではなく「かなり高価」だからだ。燃料として見れば、着火は悪いが長時間安定して燃える「優秀さ」は何ものにも代え難い。しかし、バーベキューをしたり七輪でちょっと魚や肉を焼く程度なら、中国産「備長炭」でも十分役割りを果たしてくれて、安いナラ炭をたくさん買うよりは、かなりコストパフォーマンスが高いと言えよう。ましてや燃料としてよりも、マイナスイオン効果や消臭、防湿、防かびのために置いたり、お風呂に入れたり、飲み水に入れたり炊飯器に入れたりするためなら、輸入品でOKかも、、、。案外知られていないが、天ぷらなどの揚げ物をするとき、鍋に小さい物を一本入れて油を熱するとカラっと揚がり、油も長持ちするとか、、、。是非お試しあれ。
2006/ 2/ 2
「但馬強力」
先日「米酒」の話をして「但馬強力」というお酒を飲んでみたいと書いたばかり。面識も何もない「行然庵」大辻さんにメールをしたところ、何と「明日お伺いします」との返事。たまたまこちらに来られる予定があるとのことだが驚いた。そんなこんなで、わざわざ大辻さんご本人に「但馬強力」を配達してもらうことになり、2004年製、2005年製、2005年製生酒と一気に3種類の「但馬強力」が揃い踏み、と相成った。04年製は、これぞまさしく「淡麗にして辛口」何処まで行っても真っ直ぐ真一文字に伸びる真摯なキレ味が印象的だ。05年製は、打って変わって複雑で神妙な味わい。最初フワッとまろやかに広がったかと思うと後でじんわり尾を引く辛さがたまらず未練を残す。「やられる酒」の基本だ。そして、極めつけは05年の「生酒」。火入れしたものとこれだけも違うのかと思うほど別の酒だ。生酒独特の風味はもちろん、米の酒とは本来「こういうもの」という「原型」がクッキリ浮かんで来る。この酒をモノサシの「ゼロ」にすれば、世にはびこる「エセ日本酒」のあられもない姿が露見する。大辻さん曰く「燗して飲んでみるべし。さすればその酒は丸裸になる。」よい酒は、燗しても美味いが、ニセモノは燗で馬脚を現す。なるほど、、、。
行然庵・大辻伯、深いインパクトを残し帰路につかれた。感謝、ひたすら感謝。
2006/ 2/ 3
オレは外
その後の「みー」は、すこし「サカリ」のボルテージも下降したようだ。外出も少なくしていたが、昨日は夕方から出かけ、夜、耳に負傷して戻った。ケンカに勝ったのか負けたのかは定かではないがネコの社会も大変そうだ。ついに「オトコ」の日々が残り数日となった。そんな運命を知ってか知らずか、節分の豆を目の前に、ヒトは「鬼は外、福は内」と念じるが、ヤツの心は常に「オレは外」に向いている。獣医さんにダイエット指令を受け、今までのエサを止め、カロリー管理が出来る高級な?ドライフードにスイッチした。安いエサは、ほとんどが人間の残飯や魚、肉類のゴミ同然のものを加工したものだそうだ。それだとカロリーがつかみきれないのが難点で良くないらしい。目標体重を決め、それに向けて1日の量をきっちり量って与えるべし、との指令。去勢後の肥満防止に今から厳しく管理せよ、とのお達し。まあ、ちょっとスリムになった方がいいオトコだぜ、「みー」。それは飼い主にも言えるってか、、、。
2006/ 2/ 4
ウンザリ
最近、掲示板「kurakuraのおと」に頻繁に「怪しげな」書き込みがある。書き込み主は外人(?)、内容はホームページのURLがただただ羅列してあるのだが、怪しげなクスリやサプリメントの海外の通販サイトばかりだ。書き込みを見つけると即座に削除するようにしているが、間に合わないこともしばしば、、、。くれぐれもアクセスされないようにお気をつけ頂きたい。掲示板にこんな書き込みが増えたのはここ最近だが、メールに至っては以前から毎日20〜30くらい「有料出会い系サイト」などのスパムメールが届いてウンザリ。その都度、今後受信しないようフィルタをかけるのだが、その作業だけでも手に負えない感じ。ひたすら「削除」、、、。配信拒否を通知するメールアドレスを載せているところもあるが、これがたいていインチキで、「配信拒否メール」を送っても、宛先不明で戻ってくるのがほとんどだ。ウィルス感染の危険も含めて、開封せず「完ペキに」消し去るべし、が賢明のようだ。
2006/ 2/ 5
物憂いじゃん
コイツは明日「タマ」を取られると知ってか知らずか、なんか物憂い表情、、、。
気性の荒い競走馬は去勢されることがある。タマを取った後は「せん馬」と呼ばれる。せん馬の「せん」は馬ヘンに扇と書くが、パソコンでその文字が出て来ないので平仮名表記。せん馬となると、気性が大人しくなり、競争に集中出来て好成績を上げることが望まれるが、当然のことながら子孫を残すことは出来ない。優秀な競走馬は引退してからの種付け料も重要なビジネスとなるが、せん馬はそれが望めないため、少しでも多く賞金を稼げと高齢になってもレースに出されることになる。海外の名馬「ジョンヘンリー」はせん馬の歴史的名馬。10歳になってからもG1レースを4つも勝ち「鋼の馬」と呼ばれた。日本では「レガシーワールド」というせん馬がジャパンカップで海外の強豪をはねのけ優勝したが、大活躍する馬は稀ではある。
話が脱線した、、、競走馬とネコはちがうが、タマをとられてもそれなりの人生(?)を見つけて欲しいと思う、という飼い主の矛盾したワガママ、デス。
2006/ 2/ 6
愛する「みー」へ
ついにこの日を迎えた。獣医さんに到着して「その」手術前の「みー」。エリザベスカラーをつけられて、血液検査のため血を採られ検査結果を待つまでの数十分間、ヤツの姿を我々は複雑な気持ちで見守った。そして、ついに麻酔注射でイチコロにふにゃふにゃになって奥の手術台に消えていったヤツを、何とも言えない気持ちで見送った。夜まで入院。一旦病院を離れた我々に先生から手術無事終了の連絡。手術時間はものの数分らしいのだが、丁寧に対応してくださる獣医さんに感謝。引き取りに行った際に、取ったタマを見せてもらう。デカイ。看護婦さんも先生も異口同音に「立派な○○デスねー」。確かに「デカイ」ぜ。我々の予想より「かなり」歳クッてるというコイツ。既に世の中にはオマエのジュニアが何匹もいるのかも、、、。
病院の診察券には「浜本 みー」。今日からは、正真正銘「浜本 みー」となったんだぜ。愛してるぜ「みー」。
2006/ 2/ 7
コウノトリ発見
昨日「みー」の手術後、お迎えまでの空き時間、豊岡の郊外「六方田んぼ」が目の前に広がる美容室(2004/12/21の日記を参照)に、芸術家庭師・加藤さんを訪ねた。この美容室は加藤さんの奥さんのお店。月曜なのでお店はお休みで奥さんの姿はないが、先週のお礼と打ち合わせを兼ねての訪問。例によって、ガラス張りの向こうには真っ白に雪化粧した田んぼが広がり、すぐ前を流れる川にはカモの親子が連なって遊ぶ。店内では薪のストーブがパチパチいって、その炎をボーっと眺めながらコーヒーを頂き、ボクのためにチョイスしてくれたバッハのBGM、、、ホントくつろぐわぁ、、、。こういう自分だけのスペースが欲しいと、ここに来るたび「真剣に」思う。佐平治の蔵の倉庫2階が一応「我がアトリエ」だが、あそこには「風景」がない。そんなことを思っていたら、窓の外には何とコウノトリ!。何度も何度もここの上空を行ったり来たり。何とかカメラに捕らえたが、2羽でランデブー飛行の場面は残念ながら捕らえきれず。放鳥後、こんな間近で「自然に」見たのは初めて。人間の方が「自然さ」を忘れ興奮してしまう。ますます、この場所が羨ましい。
2006/ 2/ 8
「三丁目の夕日」
平成になって18年も経ち、「昭和」が懐かしい、と「昭和ブーム」だとか、、、。この映画はそれとはきっと無関係で、下敷きとなった原作「三丁目の夕日」は既に連載30年の人気コミック。恥ずかしながらこんな映画が作られていたなんて知らなくて、最近教えてもらって初めて知った(恥)。今現在「豊岡劇場」で上映中。お客がボクら以外2人という、名実共に「寒い」豊劇で観た。舞台は昭和33年、東京タワーもまだ建設中の東京、、、。映画の内容に関しては、是非ご覧になってお確かめ頂きたい。懐かしい風景はすべてCGを駆使したVFX。それは現代ならでは、最先端の「大ウソ」(笑)。

ツギのあたった服、隙間から雪が吹き込む窓、ガリガリと回してかける電話、ブリキのおもちゃ、当てモン屋、ホオクロおっつぁん、大黒座、白黒テレビ、怖いオヤジ、、、どれもこれも今は無い。手に入れるべくして手に入れた「便利さ」や「豊かな感じ」、、、それを目指して来たんだろうけれど、それが故にどこかに忘れてきたモノや、捨て去ったモノの数々、何かにマヒした感覚、、、。ただ懐かしいだけではなく、昔居た自分の場所と今居る自分の場所の落差、、、。今の方が随分と「貧しい」。そんな自分を思い知って、溢れる涙が止まらなかった。
豊劇では2/24まで上映中。要防寒装備(笑)。
2006/ 2/ 9
我が「昭和」
「ALWAYS 三丁目の夕日」の話をしたばかりだが、今日の新聞折り込みに、この辺りの昔の写真集発刊の広告が入っていて、その写真に何と「自分」が映っていて驚いた。どれが「私」だか見つけるのも大変だが、まさに「我が昭和」である。ここの映っているのは紛れもなく我々が小学校6年生の時代の光景だ。道は辛うじて舗装してあるが、確か初めての「信号機」がついた記念のパレードだと思う。後方の建物に「藤原美粧院」の看板が見える。「ナティフ」のルーツである。時代はまさに高度成長の真っ直中であり、日々目まぐるしく変化していく激動の流れにあった。人が「貧しさ」から「豊かさ」へ脇目も振らず、一目散に駆けていた。「懐かしさ」も感じるが、まだまだ最近の事、とも思う。高々30年そこら前を懐かしむなんて、、、とお年寄りに呆れられるだろう。しかし「三丁目の、、」や、この「写真集」の光景を、今初めて見る現代の子供達にとってそれは「時代劇」であり「歴史写真集」なのかも知れない。「貧しさ」とか言っても「???」だろうし、「何」が懐かしいのかちんぷんかんぷんなのかも。「貧しさ」を、何となくだが「ギリギリ」知っている世代が、この写真にいる我々なのかも知れない。


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