2006/ 4/11
春眠
はっきりしない天気だが、気温もすこしは上がり佐平治の蔵・店内では今年初「クーラー」を入れた。まあ、クーラーと言っても軽〜くだが、、、。
こういうフワフワした春の日は、例によって目覚めがスッキリしない。いつまでも眠れそうだ。ネコは万年「寝子」で、寒い日には日向を探して、暑い日には涼しいところを選んではネているワケである。きっとこの時期我々人間が感じる「春眠暁を覚えず」的感覚がネコの日常なのかも知れん。

この日々のこの感覚は嫌いじゃないが、佐平治の蔵は4月に入ってからというもの眠りっぱなしで、いつまでたっても暁が遠い感じ、、、。お目覚めはいつ?
2006/ 4/12
おあいそ
お箸を「おてもと」爪楊枝を「くろもじ」、醤油を「むらさき」なんて呼ぶのは、もともとお店の従業員間でのみ使う「業務連絡用語」である。あからさまに「3番テーブルにお箸ーっ!」と言わないために考えだされた業界用語に過ぎない。お客さんの前で「ちょっとトイレ行って来ます」と言わないように「2番行きます」とか「食事は3番と呼ぶ」とか決めておいてお客さんに露骨に伝わらないよう業務連絡しあう「サイン」と同じだ。お寿司屋での「あがり」も同じ。お客側が「あがり下さい」と言うのはヘン。お茶はお茶、箸は箸、醤油は醤油でよし。
「おあいそ」も同じ。元々お客さんに勘定書きを差し出す時「愛想尽かしなことですが、、、」とへりくだって言ったのが始まりだとか、、、。お客さんの方から「おあいそ」と言うのは本来おかしい。
言葉が本当の意味や由来から遠く離れて「記号化」していることを憂う。
日本語が確実に死んで来てるよね。
2006/ 4/13
ごちそうさま、が聞きたくて
昨日、言葉が「記号化」していることを書いた。どこかの小学校で給食の時間に「いただきます」「ごちそうさまでした」を言わない生徒を先生が咎めたら、その生徒の親が怒鳴り込んできたという。「こっちは給食費払ってんだ。金払って食ってるモンに”いただきます”も”ごちそうさま”も言う必要ねぇだろー」が言い分。ウチのような飲食店はお客さんの「美味しかった、ごちそうさま」の一言が何よりの喜びだ。美味くない、と感じたお客様には、心にもない「ごちそうさま」を告げて頂く必要はない。対価を払って注文して頂きながら「ホントなら金払うのもイヤだ」と感じるお客さんに、逆に「おあいそ」尽くされるのは恥ずかしい。そんなことのないよう奮闘努力するのは飲食店のキホンのキ。
しかし、学校給食は外食ではない。一食あたり200円程度の給食費で給食がすべて成り立っていると思っていること自体が不見識。この先生にはひるむことなく、本来の「いただきます」「ごちそうさまでした」という言葉の意味をこの親子に「キッチリ」説いて欲しい。
200円程度のチマチマしたことは気が行くのに、もっと巨大な、この町の「ムダ遣い」に何故疑問が湧かんのか、、、。怒鳴り込むエネルギーの使い処を間違わぬように!と願うばかり。
2006/ 4/14
サイクル23
宇宙から飛んでくる素粒子の話を聞いてから、我々の地球はちっぽけな惑星で、人間も含めてそこに棲む生物はホント微妙な存在だなぁとつくづく思う。アマチュア無線の世界は「太陽の黒点数」に左右される。太陽の黒点は太陽の持つ磁場の表れと考えられており、その黒点の数は地球上の電波伝搬に大いに影響を与えるのだ。写真上部にあるグラフは1600年から2000年まで400年間の黒点数の変化を記したものだが、1700年以降はほぼ11年周期で増減を繰り返しており、1755年からの周期を「サイクル1」とし現在は「サイクル23」の谷間にある。(背面の画像がサイクル23の状況)谷間ということは「最悪」の時間帯というワケだ。ピーク時は100以上も表れる黒点が、この時期では全く表れない月もありどん底。従って電波はあまり飛ばず、日本国内の交信ですらままならない日も多い。ボクがアマチュア無線を始めた頃は「サイクル20」のピークを過ぎたあたりだが、昼夜を問わず賑やかで楽しかった。「ハムブーム」もあったが、明らかにその差は歴然としている。
無線の世界のみならず、この「黒点数」は太陽の活動と密接な関係があり、それにより地球の気象条件はもちろん人々の動きや気持ちにも影響し、それが「景気」のサイクルに通じると説く人もいる。やはり我々地球上の生物は「お天道様」に操られているらしい。
サイクル23は今年の暮れぐらいに底を打って「サイクル24」に向かう。
2006/ 4/15
区の総会
これまでは1月に新年度を迎えていた我が地区だが「香美町」となり、他地区と足並みを揃えるべく「4月新年度」にリセットされた。新年度スタートの「総会」が開かれることになり、何と拙者は「議長」の大任を仰せつかり、事業報告や会計報告、新年度役員選挙などの進行役をつとめるハメになった。地区の総会、と言っても、香住町が「香美町香住区」となり香住区の中の「一日市」という地区内の話で、外から見たらややこしいが、昔からの「村の寄り合い」と捉えて頂ければわかりやすい。参加者は地区内を23組にエリア分けした隣保の新旧組長さんの他、一般の区民さんも当然参加できる。しかし、ご覧のようにご高齢のお歴々ばかり、、、(失礼)。若い世代がいないワケではない(笑)。実際に家計を支えている世代の参加が乏しいのは、この町のどんな集まりでも同様だ。「何かご意見や日頃から気になっていることなど、些細なことでも結構ですから気軽に発言してください」と、活発な発言を期待したが何もナシ。「最近町長さんがホームページに”ご意見箱”を設置されました。近々、ハガキでもファックスでも受付可能になるようです。何かありましたら町長に直談判できますよ」と、「議長」の職域を越えて呼びかけて見たが、シラ〜、、、。そりゃそうだ。「インターねっと?」「ファックす?」何じゃーそりゃ、、、だ。いやいや、みなさん、人生まだまだこれからでっせ。奇跡を起こしましょうよ!!(笑)
2006/ 4/16
強風花見注意報
土曜は一日雨。夜になってもシトシトと降り続き、インターネットの天気予報とにらめっこしながら朝を迎えた。予報通り雨は上がり昼前から燦々と太陽も照りつけて来た。よーし、絶好の花見日和となった、と勇んで今子浦にでかけた。昨年見つけた穴場とも言うべき場所。日本海も望める絶好のスポット。タープを設営、ブルーシート敷いてカンパ〜イ。と、ここまでは順調に見えた「待望のお花見」だった、が、しかし、一転にわかにかき曇り、突風、強風の嵐。ビールは飛ぶわサンドイッチは飛ぶわの大騒ぎ。太陽は雲にその姿を隠し、まるで冬。寒い午後の予感、、、。まさに天国から地獄。決断は早い方が吉。1時間で「撤収」。豊岡から来てくれた初対面のメンバーを引き連れて佐平治の蔵へ移動。まあ、一応「桜」も拝んだし、遅くまで盛り上がれたし、結果的にはオーライ。
佐平治の蔵・公式「花見大会」。今年はお店を休んで臨んだ3回目だったが、3戦1勝1敗1引分け、となった。
2006/ 4/17
リベンジ桜
気温はイマイチ低いが、一日ずれていれば花も人も大いに満足がいっただろうに、、、。我が町の桜はようやく今が盛り。ピークを少し過ぎて、散り際の美学を感じさせる一番良い時間帯を迎えている。昨日は酒盛りの方が充実した分今日は「桜」を満喫した。
昨年は店舗・住居の新築で「畑」が出来なかったようだが、今年はそのリベンジとばかり燃える、カミさんの「農繁期」がいよいよやって来た。彼女の聖地とも言うべき「畑」のある守柄(スカラ)という地区はお義父さんの生地。守柄では畑の脇の川に沿って桜並木が今まさに絶景なり。山ではウグイスの美声も響きわたり、対のモンシロチョウが舞う。竹藪では、イノシシが竹の子を食い散らかした跡が生々しい。まさに我が国が失いつつある自然がここではフツーに健在なり。
2006/ 4/18
ひてーち弁
実家のポストに一冊の冊子が届いた。
「ひといち弁&八坂神社の歴史」
どんな地にも方言がある。当然我が町にもかなりディープな方言があり、町内でも地区ごとに言い回しが違ったりする。「ひといち」とは、先日から書いているが我が地区名「一日市」である。山が「上(カミ)」、海が「下(シモ)」で、港の在る我が「一日市地区」は、旧旧香住町の中でも「下口(シモグチ)」と呼ばれるエリア。従って一日市弁は別名「シモグチ言葉」とも言われ、独特であり、時に「汚い言葉」「荒っぽい言葉」「品のよろしくない言葉」と響き、他地区から区別されて捉えられていることも多い。しかし、方言はそこが面白いワケであり、変化に富んだ表現に、巧みさや生活感がモロに表れる。現在ではお年寄りにしか通じないような言葉も多く、惜しい気持ちも多い。言葉は歴史。遠い過去の流通経路や文化や文明の交流経路に思いを馳せる。そうすれば我が町のルーツやポジショニングが自ずと見えてくるし、退化するばかりで発展のない未来を憂う手立てにもなろう。
この冊子の編者は地元の名士。長老と呼ぶにはまだお若いが、神社の祭事などにも熱心な識者。ライフワークにリスペクト!
2006/ 4/19
・・・記念日
「みー」がまだ「みー」でなく、ふらーっと我々の前に姿を現したのが昨年の4月19日だった。この日は我々夫婦の結婚記念日でもある。「みー」と我々夫婦との「つきあい」についてはこの一年の日記でたっぷり堪能して頂けたと思う(笑)。亭主としては、すっかり「みー」に女房を寝取られた。夜中、カミさんと「みー」が絡まり合って寝ているところへ、なかなか割って入れないワケである。まさに「3年目の浮気」?、、、相手はネコではあるが、常にオス猫と比較されるオスの人間も大変である、、、(笑&涙)。

結婚3周年。3年は「革婚式」・・・そのココロは「そろそろ倦怠期。革のように粘り強く」だとか、、、。「花が咲き、実がなるような」来年「花婚式」を目指して、、、。
2006/ 4/20
平 絵里香
平絵里香(ヒラエリカ)をご存知だろうか。今年の1月にメジャーデビューしたシンガーソングライター。アコースティックギターで弾き語るのが彼女のスタイル。彼女の出身地は豊岡。しかし、彼女のオフィシャルサイトを見ても豊岡に関しては全く触れられていない。兵庫県出身、25歳。18歳で大阪の心斎橋で路上ライブを始め、その後東京に進出、、、とある。先日「Kiss FM」にゲスト出演していて、出身地が豊岡であることを初めて知った。しかし、その場でも豊岡についてはあまり語らず、神戸や大阪が「地元」って感じで関西弁で喋っていた。オフィシャルサイトのBBSに「神戸ライブ。地元でのライブですね」とファンが書き込むのを見て、兵庫県出身→神戸が地元、となるのには「本当の地元民」としてはかなり違和感があるが、彼女にとってはそんなことはどうでもいいことなのかも知れない。消したい過去があるのかも知れないし、生まれ育った土地になど何の思い入れもないのかも知れない。実際、出身地の豊岡では知られていないし、むしろ路上ライブ時代から知っている心斎橋のファンは大いに盛り上がっていることだろう。まあ、どこかの女優のように出身地を「神戸・芦屋」と偽っているのとは話が違うと信じてるけどね、、、。
今日FMで、メジャーデビューアルバム第1弾「顔色スピーカー」の中から「左手の合図」という曲を聴いた。元ちとせ風の独特のコブシまわしがとても印象的で、深く耳に残る。ファンなら彼女がどんなところで生まれて育ったのか興味が湧くのは当然だと思うんだけど。(ちなみにこの写真はスッピンらしい。実際は雰囲気美人?)


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