2006/ 4/21
書く、打つ、喋る
パソコンに向かって文章を打つ、ことが当たり前になって実際に字を書くことがなくなった。もともと字がヘタなのでそれはそれで好都合の部分もある。学生時代は、まだワープロも普及する前で、ものを書くのに、気取って万年筆を使っていた。少しでも字がうまく見えるようにと、ペン先が「太字」のモンブランを銀座の「伊東屋」で買った。細いペン先で綺麗に書ける人が正真正銘の達筆。しかし、ヘタな人間は太い字でそれなりに見せるのが「ヘタウマ」の極意。ヘタウマを自慢することもなくなって少し寂しい(?)気もする。よく言われることだが、書かなくなるとまず字を忘れる。キーボードで打つとすぐに変換してくれるので、さも漢字を知っているような気になるが、いざ紙に向かって字を書き始めると突然漢字の正誤に不安を駆られてしまう。昔の小説家には、原稿用紙に万年筆で書いてはクシャクシャ、ポイを繰り返して、部屋中紙くずだらけというイメージがあるが、最近はキーボードを叩く人もいれば、書くことも打つこともせず、喋って録音する「口述」の作家も多いらしい。録音したものを誰かが書き起こし、それをチェックするだけ、、、。才能があるが故とは言え、いい商売だ。

掲示板「KuraKuraのおと」。いよいよスパムに耐えきれず、しばらくの間閉鎖致します。悪しからずご了解下さい。
2006/ 4/22
小春日和
実際の春に「小春日和」という言葉を使うのはおかしい。もともと小春というのは、季節はずれに春を感じさせる陽気のことを言う。しかし、春になってもこうあまりに春らしい日がないと、季節真っ直中なのに、たまの春らしい日に「季節はずれ」を感じてしまうのはどこかヘン。実は、ウラ日本の季節の感じ方というのはそういうもんなんだろうとようやくわかってきた。
「みー」も日当たり良好。いやいや、コイツはいつも、いつの季節も絶好のポジションをサーチして、身も心も常に小春日和と言うワケでやんす。
2006/ 4/23
最初はグー
振り子は左右に揺れながら時を刻んで行く。行きつ戻りつ、、、。偽メール問題ですっかりダメ出しをくらった民主党が、遂に奥の手とも言える小沢イチローを担ぎ出して「イチからの出直し」をアピール。千葉の補欠選挙で「小泉劇場」と初対戦し、がっぷり四つに組んだ。さすがに、一気呵成に攻めて秒殺、とまでは行かなかったが、土俵際の攻防を寄り切った。今回はマスコミもタイムリーなネタとして、終始注目していたが、途中から武部幹事長が「最初はグー、サイトウケン!」とやり出したのにはドンびきした。もともとこの自民党の候補は落下傘候補。地元には縁もゆかりもないエリート官僚上がり。その上ソコに来てのミエミエでダサダサのイメージ戦略には地元の人も「バカにするのもいい加減にしろよ」と嫌気が差して当然。笑えないギャグに厳しく、面白くない番組にはすぐにチャンネルを変える庶民感覚を甘く見ては行けない。
「小泉劇場」も最初はグーだったけど、そろそろつまんなくなってきたから、次は「小沢イチロー一座」でも観るか、、、と、イチローの振り子が確実に振れ始めた、か?
2006/ 4/24
Z旗
週末からカミさんは旅行に出かけ、しばし「独身」に戻る。月曜の夜、スタッフの黒ちゃんとお客さんのKさんの独身2人を連れだって豊岡の夜に繰り出した。週末に開店したばかりという新しい居酒屋を口開けに「はしご」。はしご出来るのがやっぱり豊岡。香住だとなかなか「はしご」は厳しいからね、、、。数件、食べ歩き飲み歩いて、コンビニでさらお酒やつまみ等を買い込み、豊岡市民である黒ちゃん宅へなだれ込んだ。なんか学生時代に戻ったようで俄然テンションが上がる。やっぱり独身ならではのノリは独特。みんな家庭に納まると「縛り」が出来て世界が変わっちゃうもんね。
部屋に上がり込むと壁に掛けられたでっかい「Z旗」が、、、。Z旗とは、船が掲げる国際信号旗の中の一つ。アルファベット旗26種の最後「Z」。通常は「曳き船求む」というトラブルを知らせる旗。漁船が掲げると「投網中である」を示すらしい。日露戦争の日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を撃破した日本海軍は、このZ旗を掲げ「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」とメッセージを込め士気高揚を図った。以来「後はない」という決意を示すシンボルとなった。日産のフェアレディZのZも、開発スタッフに当時の社長がZ旗を贈ったことに由来するとか、、、。ワケあって?最近独身にもどった家主の「Z旗」の意味は如何に、、、。
2006/ 4/25
雄姿
我が町のアイデンティティの一つ「余部鉄橋」が掛け替えられる話は、年賀メールでもお伝えした。いよいよ今年の秋着工ということで、この雄姿を眺められる時間も限られてきた。土日はもちろん、平日でも鉄道ファンのみならず一般の方々の数がスゴいのには驚きだ。鉄橋のある「余部地区」は、写真でもわかる通りの寒村。そこに降って湧いたように異様な人だかりというのは、明らかに「非日常」で風景になかなか同化しない。こんな騒ぎが着工までどんどん加速していきそうだ。へんなアクシデントが起きなければよいが、と思うのは地元民ならではの願いか。ウチの町の町長は、鉄道雑誌で特集され続ける余部鉄橋に「余部鉄橋がこんなに人気があって注目されているとは知らなかった」と、相変わらずの当事者意識の無い不見識。
鉄道ファンを甘く見てはいけない。
2006/ 4/26
武満徹
日本が世界に誇る作曲家・武満徹。没後10年記念の企画が数々行われている。もちろん東京での話だが、東京オペラシティのギャラリーでは彼の回顧展が開かれている。生前「東京オペラシティ」の芸術監督として音楽のみならず美術や演劇、オペラも含めた芸術すべての融合空間を目指した。しかし、この施設の完成を見ることなくこの世を去ったのである。この展覧会では、彼の音楽的遺産以外に彼が感心を寄せた多様な分野からの展示品も多いと聞く。美術作品の数々、文学作品、映画、映像、、、。きっと彼の奥深い知性が宇宙のように広がる回顧展であろう。彼の作品はいわゆる「現代音楽」と呼ばれるもので、無調で拍子も不明確、楽譜も複雑で素人が見ても「ワケわからない」ものが多い。しかし、音で聴くと「ハッと」させられる瞬間が訪れる。もともと独学で作曲を始めた人。ジャンルにとらわれない無垢な洞察が音にも現れる。日本古来の楽器も多く使う。映画音楽の作品も多い。映像と合わせるとさらに理解が深まる。音楽会の仕事をしている時に一度だけ彼と会った。背がちっちゃくて、オデコが異様に飛び出ている容貌はまるで「宇宙人」。あの独特なオーラは一生忘れることはない。やっぱ宇宙人だったのかもなぁ、、、。
2006/ 4/27
武満徹 2
武満徹のことを書いたら、急に彼の音楽が聴きたくなった。代表作とも言える「ノヴェンバー・ステップス」は、尺八と琵琶と小編成のオーケストラのために書かれた20分たらずの曲だが、濃密で彼の世界が存分に広がる。そもそもこの曲は、1967年、バーンスタイン/ニューヨークフィルから、楽団創設125周年記念コンサートのために委嘱されて作られた。初演される11月に結びつけて11月の階段、足取り、という意味を含んだタイトルは、曲が切れ目なく演奏される11の変奏的断片からなる。尺八、琵琶という邦楽器と西洋のオーケストラが違和感なく融合するが、西洋音楽のイディオムは全く出現しない。「日本人の語感」による、音楽と言うより「音のモニュメント」。これ以後国内のいろいろな作曲家が同じような手法で同じ方向を目指すようになるのだが、30年を経てもこの曲を越える作品は未だない。この曲を初演した小澤征爾指揮、琵琶・鶴田錦史、尺八・横山勝也のメンバーがサイトウキネンオーケストラのヨーロッパツアーの折りに録音した最新録音を聴いた。円熟した三者のパフォーマンスがいっそうスゴい。ちなみに、ジャケットのツーショットだが、この2人はかつて「同棲」していた程のいい仲?(笑) とにかく素晴らしい。
2006/ 4/28
わらしべ長者
わら一本を物々交換してついには長者に成り上がるサクセスストーリーは、誰もが憧れる日本昔話。インターネットという武器をつかって形をかえた「わらしべ長者」を目指すべく、怪しげな仕掛けが飛び交う現代において、真っ向勝負フツーにそのストーリーを完結しようとしている人がいるとか。カナダ人の26歳男性。彼は履歴書を留めるのに使ったペーパークリップ一個から家1軒手に入れるべくスタート。 ペーパークリップを魚の形をしたペンと交換→ 魚の形のペンを面白い顔の付いた陶製のドアノブと交換→ 陶製のドアノブをキャンプ用のコンロと交換→ コンロを発電機と交換→ 発電機をビヤ樽付き「パーティーセット」と交換→「パーティーセット」をスノーモービルと交換→スノーモービルをカナダのブリティッシュコロンビアへのパッケージ旅行と交換→旅行を小型トラックと交換→ 小型トラックをレコーディング契約と交換→ レコーディング契約をフェニックスにある賃貸住宅と交換、、、というワケで、彼は現在一年間無料の賃貸住宅に住んでいる。まだ当初の目的が達成されてはいないがあと一歩のところ。途中から話題が話題を呼び、ウォッチャーが増えたのも現代版「わらしべ長者」ならではのアシスト。
結末は彼のブログでチェック!
「One Red Paperclip」
2006/ 4/29
両部鳥居
この日記にも度々登場する、我が地区の鎮守「八坂神社」。木製の鳥居の老朽化に伴い、石造で新築され本日除幕と相成った。先代の鳥居に習って、両脇袖に控えの脚がついた「両部鳥居」の形が継承された。この形は「安芸の宮島」厳島神社の水中の大鳥居と同じだが、いろいろ調べると「神仏習合」をルーツとする神社に多く見られるという。八坂神社の本山はご存知京都は祇園。もともとここもお寺内の社がルーツ。神仏習合のシンボルとも言える社殿。明治になり新憲法の元で「神仏分離」が明確に打ち出され、初めて「八坂神社」と名乗ったという流れを考えると筋に叶っている。夏祭り、秋祭りの「御輿」が山の上の神社を出て、最初に山の下のお寺に立ち寄るのも「習合」の習いからか。
一口に鳥居と言っても、様々なスタイルがあるということをこの度学習した。大まかに分けると、2本の柱が少し斜めに建ち最上部の屋根が反っている「明神鳥居」と、柱が垂直で全体的に直線的な「神明鳥居」。それぞれのルーツにたどり着くワケだが、そもそも「トリイ」の起源は、インドの寺院の門「トラーナ」とする説や、天照大神を天の岩戸から出すために鳴かせた鶏にちなんで、鶏の止まり木「鶏居」とする説、「通り居る」でトリイ、とする説など諸説あるらしい。今回は、神は神、仏は仏とキッチリ区別させられたのが「明治政府の政策」だった、という一点をしっかり確認しておきたい。
2006/ 4/30
丹下左膳?
土曜は朝から夕方まで久しぶりの長時間外出をした「みー」。戻ってきてしばらくして、右目の異変に気が付いた。よく見ると誰かに目を攻撃された痕が、、、。久しぶりに街を徘徊し、なわばりをチェックしていたら地回りのチンピラに絡まれた、という展開か、、、。さらにカミさんが身体検査したところ耳にも負傷の痕が、、、。以前獣医さんに、顔に外傷を負うネコはケンカに強いと聞いた。弱いネコはすぐに逃げ出そうとするので、体の横や背後を負傷すると言う。怯まず真っ向勝負するネコは多少正面にキズを負っても、それ以上に相手をボコボコにしているということだ。もしもそれが事実なら、ヤツは今日から「丹下左膳」。
丹下は丹下でもダンペエではないだろうなぁ、オマエ、、、。立つんだ「みー」っ!?


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